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シーズ・ブログ

2015.11.06

復興ボランティアに参加しました(その2)

防災・減災のための「津波てんでんこ」
奇跡の一本松の見える丘で、ボランティアの方に「もし今津波が向こうから来たらどうするか」と問われました。走って逃げていては間に合わないでしょうし、どこが高台なのか迷っていたら車でも間に合いません。しかし、海岸そばの気仙中学校では全員が助かりました。

全員が助かったという多くの学校では「津波てんでんこ」を実行に移すことが出来た、といいます。「津波てんでんこ」の、「てんでんこ」とは「各自」や「おのおの」を意味する東北の方言。「津波が来たらおのおので高台へ」、つまり、「自分の命を自分で守れ」ということです。この言葉を日頃から唱えていたこと、この言葉が共通の考えだったからこそ、全員が助かったのです。

私たちは普段できることしかできません。そして「これが防災・減災を考えること、震災の教訓を活かすということです。」と教わりました。もし今、災害が起きたら「どこへ逃げるのか?」、生存を伝えるために「どこへ連絡をとるのか?電話番号はわかるのか?」、これらについて一度、ぜひ、大切な人と話し合ってみて欲しいと思います。

今回、遠野まごネットのスタッフの方、私と同じようにボランティアに参加した皆様には大変お世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。また、このような機会を用意してくださった会社にも深く感謝しています。
IMG_2493_resize.jpg生徒が全員助かった気仙中学校と震災以前の写真(右下)。校舎はぼろぼろでした。

*表紙写真:あまちゃんで有名な「三陸鉄道」の、盛駅に掲示していたポスターです。東北の海岸沿いを眺める目的で、個人的に行ってきました。
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三陸鉄道は全線が復興していましたが、盛駅以南は鉄道が通っておらず、BRT(バス高速輸送システム)を代わりに利用しました。
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途中、コンビニ等、仮設住宅以外にもプレハブの建物が多くありました。「奇跡の一本松」駅には車のほか、BRTで行くことが出来ます。
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*震災以後にでき、最初は瓦礫のキーホルダーの売上から経営がはじまったという、陸前高田の「FRYINGPAN FARMER'S CAFE」に立ち寄りました。美味しい料理は写真の通りです。
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*遠野市から陸前高田市に向う途中、住田町の仮設住宅地に立ち寄り、ひとくくりにはできない仮設住宅についてのお話もきくことができました。

直接の津波の被害のなかった地域の「みなし仮設」
仮設住宅ときいて思い浮かぶのはプレハブの長屋形式のものであるという方がほとんどと思いますが、その他に、津波の直接の被害はなかった地域では、空いていたアパートや一軒家に行政が補助を出し仮設住宅とみなす「みなし仮設」というものがあるそうです。
ボランティアとしてみなし仮設の方々のことを知り、活動するためには、一軒一軒を訪問するという大変な期間があったそう。当然みなし仮設とプレハブの仮設住宅の方々とでは必要な物は違ってきますし、そもそも、一人ひとり抱えている問題が違うのは私達と変わらないことなのだと感じました。

林業のまち・住田町の独自の仮設住宅
プレハブの仮設住宅というのは長屋形式で全部がつながっていますが、住田町の仮設住宅は、プライバシーを配慮し一軒一軒が離れている他、屋根には太陽光パネルが設置されていました。林業の盛んな住田町では震災が起きてすぐ、地元の木々をつかったこの木造仮設住宅を建設し、被災者を受け入れたのだそうです。建設費は当初町で全額負担を決めていましたが、なんと民間団体からの募金による全額の支援があったということでした。

自治体によって取り組みが様々であるということ、たくさんの人の支援のあることを知りました。
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2回にわたり復興ボランティアのレポートをお送りしました。

今回のボランティアは、震災を知ってもらうための復興ボランティア。
深い爪痕が残る被災地では、震災を風化させないことがとても重要です。みんなが、無理をせず出来ることを長期間にわたり支援する。ボランティアの火を絶やさないように、たくさんの人の思いが東北に届きますように。

遠野まごころネット様、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
一日も早い復興をお祈りしています。