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シーズ・ブログ

2014.10.20

復興ボランティアに参加しました(その1)。

9月の終わり、今年で3年目になる東日本復興ボランティアに参加してきました。

今回の参加者は、入社2年目のSさん。ボランティア先は、一般社団法人 名取復興支援協会が募集している宮城県名取市ゆりあげ地区の復興ボランティア。ここにはまだまだ瓦礫が残っており、特に人の手でなければ農地の復旧は難しいようで、Sさんは農地復興ボランティアとして、東北の地を訪れました。
その時のレポートを2回に分けてお送りします。

◆ボランティア1日目
29 - 10.jpgホテルから鉄道と路線バスを乗り継いで閖上に到着しました。新しく建てられたであろう家も所々にありましたが、草が生い茂っただけの場所がほとんどです。
29 - 16.jpg29 - 15.jpgそんな景色の中で目に留まったのが、閖上小学校・中学校。この建物は災害の跡がありありと残っていました。時計も止まっており、まるで災害が起きた時から時間が流れていないようでした。

 ボランティアの受付場所に向かう途中に見つけた、電柱の根元と思われるものです。
29 - 36.jpg津波の恐ろしさの断片を見ました。この他にも、歩道の所々に砂利が残っていたり、端に生活用品が落ちていたりもしました。

受付担当の方が来るまで、とうもろこしを茹でていたおじさんから災害時の話を聞きました。閖上は人口5500人の町だったらしいのですが、津波により900人の方が亡くなったらしいです。
見渡す限り草だらけの景色も、災害前は多くの家があり賑やかだったとのことでした。

「受付場所のすぐ近くに、災害後に建てられた神社があるから行ってくるといいよ」と言われ、受付の方が来る前にお参りして来ました。
29 - 11.jpg千羽鶴が飾られていて、絵馬にはたくさんの復興のメッセージが書かれていました。

初日の作業は、チャネルオリジナルという会社の方々に混じり、草むしりのお手伝いをすることになりました。

草むしりをする際、土が固いので鍬を使って土を掘り起こしていたのですが、
時折「ガンッ!」とすごい音が鳴ります。大量の瓦礫が土の中に埋まっているのです。
しまいには鍬がぐにゃりと曲がってしまっていました。
29 - 1.jpg私は主に、掘り起こした後の地面から雑草を抜いたり、溜まった雑草や瓦礫をゴミ袋に移したりしていました。
お昼休みや休憩時には、チャネルオリジナルの方々からお菓子を頂いたり、ボランティア活動に参加した経緯を聞いたりしました。

「私たちの会社は、
3年前からここのボランティアに参加しています。仙台以外にも名古屋や大阪、九州から来た人たちもいるんですよ。」
会社全体で被災地に行ってボランティア活動をする、すごいことだと思いました。
29 - 6.jpgチャネルオリジナルの方々、本当にありがとうございました。

お昼休みが終わった後、災害時のビデオを見ることになりました。
衝撃的でした。車で逃げる人を追う津波、閖上小学校の半分が水浸しになり、一番上の階に避難する人々、その人達に向かって「助けてください」と何度も呼びかける声、津波が引いた後の、大きな瓦礫に埋もれてしまった町。
多分、似たような映像は災害時にニュースで見ていたはずでした。
それでも大きな衝撃を受けたのは、自分が今被災地にいたからだと思います。離れた土地からニュースで見た映像と、被災を受けた人と話してから見た映像は別物のように感じました。
映像だけでなく、被災者の話も色々聞かせて頂きました。知り合いの方を探しに行った結果、高速道路の橋の下に大量に浮いた死体を見てしまった少年の話。
津波が自分の後ろ5mまで迫って、奇跡的に助かったものの避難場所でご飯も食べずに震えていた女性の話。
その人達の気持ちを想像して、想像し切れなくて、それでもただ恐ろしくて仕方ありませんでした。
29 - 35.jpg(次回へ続きます)